本ブログでは、精神障害者にも鉄道運賃の割引を適用してほしいとずっと主張してきた。ブログ開設から4年以上経過してくる中で、交通事業者によっては自主的に割引を提供する動きが出てきているが、全体的なイニシアチブがなく、動きが鈍いのが確かである。
本ブログの記事数がちょうど100を超えた記念に、本稿では改めて、障害者に対する交通運賃の割引の考え方について整理してみたい。

目次
交通運賃の障害者割引に関する現状
障がいのある人が人間らしく日々を過ごせる社会が、一般の人々にとっても安心して暮らせる社会ということは明らかだと思うが、それを明確にするルール作りが日本ではいまいち進んでいないのが現状である。
端的に言えば、政府や政治家の障がいに対する問題意識が薄く、政策形成に関して怠慢だからである。特に弱者が安心して暮らせる社会というにはほど遠い。
実際に、携帯通信会社や映画館を含む多くの観光施設で割引が自主的に行われるようになってきているが、なぜか交通機関における割引だけは頑として行われていない。
日本も批准している障害者権利条約。その条約では、障がいのある人に対しての交通権、つまり移動に関する権利が次の通り保障されている。
「障害者自身が、自ら選択する方法で、自ら選択する時に、かつ、負担しやすい費用で移動することを容易にすること。」
障害者権利条約 第20条 (a)
「負担しやすい費用で移動できること」、つまり交通運賃の割引は生活する上でも娯楽の上でも必要で、この条約で保障されているはずであるが、政府が主導して政策に落とし込んでいるようには現状ではとても思えない。
現在、国内線の航空路線には精神障害者にも障害者割引運賃が導入されたが、利用する機会は鉄道やバスほど頻繁ではなく、かつ利用しやすい営業割引運賃が多いため、それほど重要には思えない。

何が整備されていないのか
現状の制度で整備されていなくて置き去りにされている問題は、次のとおりである。
● 精神障害者に対する交通運賃の割引が保障されていないこと
身体・知的障害者にはすでに交通運賃割引の制度が整備されているのに対し、精神障害者には制度が整備されていないために割引が限定的であること。
政府や行政の協力要請に応じた地方のローカル私鉄や路線バスでは限定的に割引が提供されているが、遠距離移動に対する割引(高速バスやJRなど大手鉄道会社)がないこと。
割引が進んでいる地域の路線バスに限ってはある程度利用しやすくなったが、鉄道を経済的に利用するにはほど遠い現状である。
障害者権利条約上、また障害者差別解消法の理念からも、障害種別で便益に差が出てしまっていることは大きな問題があるといえる。
● 障害者の単独移動における割引の制限(100km問題)
これは、障害種別以前の問題である。
身体・知的の障害種別であっても、移動距離にかかわらず割引が提供されるのは重度の障害者が介助者を伴って移動する場合(第1種)のみで、その他の種別では100km以上の移動でないと割引にならない(第2種)。
これも経済的な移動を制約する要素である。障害者は遠距離の旅行をするなと言わんばかりである。
これら2つの大きな問題があることによって、交通運賃の割引制度は中途半端な状態であり、多くの当事者にとって移動の困難さがあるということになる。

交通運賃の割引に関する考え方
本ブログを通して交通運賃の割引について研究や考察を重ねれば重ねるほど、次の2つの考え方にまとまってくる。両者とも根拠がある考え方なので、どちらが正しいとも言い難くなってしまった。
● 政府・国が主導する考え方
交通事業者(主にJR)にとっては、政府や国が主導して制度を一元的に整備して、割引原資を国で負担する考え方。
国が主導することによって、確実にかつ強制的に制度運用を図ることができるのが最大のメリットであろうか。
こちらの考え方に立てば、交通事業者の利益を法人税などで回収し、法人税などの国税を割引の原資にすることで、富の再分配をするという政府本来の仕事を果たせることになる。利益を多く上げているJRや大手鉄道会社から多くを税金の形で割引原資として回収し、利益の少ない中小会社にとっては税金納付の負担が減るということになる。法人税の税率次第という政治問題があるにせよ、より社会主義的なリベラルな考え方であると考える。
筆者が知りうる限り、より多くの当事者がこの考え方を支持している。重要なのは、JRもこの考え方を支持しているということである。
● 交通事業者が自主的に協力する考え方
国(国土交通省)は、交通事業者に対して自主的に割引するよう協力を要請していて、割引の原資を事業者で負担する考え方。
国や自治体に抵抗できない地方の中小事業者にとっては、受け入れざるを得ないのだろう。
事業者が自主的に割引を提供することで、企業の社会的責任(CSR)を果たすことができて、企業イメージのアップにつながることは事実である。
ただし、国・政府の役割である富の再分配の機能を放棄して民間にやらせるという無政府的な考え方でもあると考える。国が仕事をしないで怠慢しているということである。 今の保守政策の背景にある新自由主義的な考え方が根底にあるといえないか。
当事者にはあまり人気のない考え方である。本ブログでも過去はこの考え方を支持してきたが、ここにきて、どちらの考え方が正しいか判断できない状況になっている。
ひとつ言えることは
政治が決断すべき問題である。国や政府が条約を政策に落とし込んで、立法化などして主導しない限り、事態が進まない。
そのためには、広く関心を集めることが大事だと考える。一般国民はもちろんなこと、当事者でさえも関心が薄い問題である。
ひとりひとりが何らかの形で関心を持ち、声を上げて国に訴えていくことが大事ではなかろうか。
