金海銀之助に転生し、一から出直すわけ

自己紹介

私金海(かなみ)のネット人生は実はかなり長くて、このブログを始めたのは2015年5月です。もうすぐ運営5年が経つこのタイミングで、インターネットドメイン名を「kanamiginnosuke.net」に変更して、一から出直し始めました。

Twitterを本格的に始めたのは2018年6月で、別のハンドルネームでやっていましたが、訳あってこの機会に従前のものから変更し、一から出直しました(前アカウントを削除し、現アカウント「@kanamiginnosuke」を新規に立ち上げました)。

どうしてこんな面倒くさいことをしたのかと、皆さまは思うことでしょう。本稿では、その理由と経緯をお話ししたいと思います。

Twitterを始めるまでは孤軍奮闘した

本ブログを立ち上げたのは、2015年に双極性障害と自閉症スペクトラム障害(ASD:発達障害のひとつ)の診断を一気に受けたのがきっかけです。それらの診断を受けてからすぐに就労移行支援の利用を開始し、障害者雇用での社会復帰に成功したわけですが、一つ一つのステップを細かくブログの記事として記録しておきたいというのが、本ブログを始めた際の思いでした。

当時、就労移行支援を利用しているときのルールとして、SNSなどでの施設外交流をしないというお約束になっていたため、私はまじめにそれを守ってこのブログの執筆に専念していました。

障がいの診断を受けてから就労移行支援の利用、そして障害者枠での再就職という一つ一つのイベントはとても希少な経験で、それを記録しておきたいということと、当時はこのような情報がネット上に少なかったことから、それをみんなに共有したいという思いがありました。

したがって、当時はSNSで人と交流したり、SNSを通じてこのブログを広報するということもなくて、Google検索でこのブログを訪れてくれる人がほとんどでした。他の人の体験と比較したり、流用することなく、唯我独尊でブログ執筆にひた走っていました。

そしてTwitterを始めてみた

障害者雇用として障がいをオープンに開示して働き始めたのは2017年5月でした。
それから約1年間はやはり一人で、就労習慣をつけることと仕事に集中する1年間でした。1日6時間の実働での時短勤務を入社から6か月間続け、勤務を続けられることを第一にしていましたが、それに成功したことをきっかけに、仕事上での進歩がありました。

そして、2018年6月で勤続1年を過ぎて、新人教育を任されるまでに仕事が充実してきました。
なぜそのタイミングでTwitterを始めたのかは実はよくわからないのですが(笑)、一つはSNSを商材にした会社だったこと、もう一つは新人教育でストレスがたまっていて、他に吐き出せる場が欲しかったことだと思います。

最初にTwitterを始めた時のハンドルネームを今語る気はしないですが、会社での出来事を克明にツイートしていたような気がします。

一つの転機になってしまったのが、そのアカウントを上司と共有してしまったことでした。よりによって、会社への不満が募っていた時で、そのはけ口として悪口を言いまくっていたのが会社に知られてしまったことでした。

障害者雇用での転職を果たしたものの、ストレス過多に

それから転職して環境を変えたいという一心でしたが、就労継続の実績を作るために、2019年になるまでは我慢してじっとこらえていました。そして、2019年7月に現在の勤務先から内定を得て、ステージアップの転職が実現したわけです。

転職の前の会社は、一般就労の普通の会社でしたが、障害者雇用の部署で、特例子会社的な環境で就労していました。
それに対して、転職後の現在の職場は、健常者の中にぽつんとひとり障害者が身を置くというごく普通の環境です。

健常者の中での環境、活気があるといえばいい表現で、悪く言えばアグレッシブな環境で、ストレスがたまりました。環境に慣れるためのストレス、新しい仕事を覚えるためのストレス、新しい人間関係を築くためのストレスがあった上、時期が日照時間が短くなる秋冬の時期だったため、週末休んでも疲れが取れないやばい状態にありました。

主催・参加していた当事者会でのトラブルを経験

職場や仕事でのストレス解消のはけ口がどこに向かったといえば、当時のTwitterの繋がりの中からできた、私が主催していたオンライン当事者会と、一スタッフとして参加していたあるリアルのトーク会の仲間にでした。今からすれば、申し訳なかったと思います。

まずは、参加していたトーク会。私自身の環境急変で、リアルの会場まで向かうのが困難になって、スタッフとしての役割を果たすことができなくなってしまいました。スタッフの仲間の人数が増えるにつれて、人間関係を難しく感じるようになってきました。断定できないのですが、仲間だと思っていた人からTwitterのブロックを受けていた時期がありました。そんな思いをしてまでスタッフを続けることはないや、と考えて、不本意ながらリアルの世界から卒業する決意をしました。

そして、自分で主催していたオンライン当事者会。
一人で立ち上げた当事者会で、やはり孤軍奮闘していましたが、運営を手伝ってくれる人がいなくなってしまい、運営継続に困難を感じるようになっていました。

当事者会の運営に必要と言われているのは、「人」「場所」「金」ですが、場所以外のリソースがすべて欠けていました。転職で疲労していて、余裕時間もなかったこともあり、イライラと不安、激しい怒りが当事者会の仲間に向かってしまいました。

今から考えれば本末転倒なことですが、プライベートな当事者会でのトラブルやストレスの解決を、会社の福利厚生での電話カウンセリングで行っていました。これは違うだろう、と思ったものです。

仲間たちが話は聞いてくれたのですが、実際に会を共同運営しようと提案しても手を挙げてくれる人が最終的に出なかったことに苦しみました。そして、最終的に2019年いっぱいをもって、オンラインの当事者会を閉鎖する決断をしました。

居心地が良くなければ、仕事、家庭以外のサードプレイスがかえって負担になってしまいます。サードプレイスに身を置くためには、自分が楽しめ、居心地の良さを大事にしたいものです。

Twitter人生を出直す必要があった

そんな経緯があって、前アカウントでは最多で1100人のフォロワーさんがついてくれましたが、当事者会仲間を含めて、数十人単位でTwitter上でブロックを受けてしまいました(数はあくまでも推測です)。なにしろ、今までいた人たちが全くTL上で見えなくなってしまったことに絶望したものです。

前アカウントのハンドルネームでの存在価値を自ら疑って、また、仕事でストレスを抱えてもいけないので、一度Twitter人生を終了して、新しく人生を出直そうと決意したわけです。

不思議なことに、今までいた仲間と人間関係、そしてフォロワーさんをいったん手放したことで、心の中にあった深いわだかまりとストレスが一気に解消してラクになったのです。

本稿を書いている時点で、転職してからちょうど半年。就労上の配慮を手厚く受けられているおかげで、仕事のストレスも軽減して、体調も良くなってきました。気分もネガティブ満開からポジティブに転換することができてきました。

利害関係のない懇意な一部のお友達や、Facebookで実名ベースで繋がっていて、顔が見える人たちだけを現在のアカウントに招待して、あとは一からフォロワーさんを募集し、セカンドライフを送り始めています。

なぜハンドルネームが「金海銀之助」なのか

ちょっとした遊び心で、今のハンドルネームを考え出しました。
転職して現在働いている会社が某銀行で、社会資源や金銭教育の話題を展開したいと思っているので、「お金」を連想させるハンドルネームを考えました。
読者の皆さまが 情報を制してお金に不自由しないでほしい、という私の願いもあります。

お金が大海原に金色に光っているイメージから、苗字を「金海」、私が銀行に勤めていて、皆さまの情報収集をサポートしたいという思いから、ヒネリで名前を「銀之助」と決めた次第です。
ちなみに、姓名判断の画数もいいです(笑)。

この流れで学んだ教訓

● 当事者会を一人で運営することは難しい。「人」「場所」「金」を揃えるのは運も必要。
● SNSでの繋がりはつかず離れずに。
● 就職、転職など人生の転機においては、そのイベントに集中すること。
● 精神障害を開示して就職した直後は、できればフルタイムではなく、時短勤務を6か月間は続けたほうがよいこと。
● 環境の変化があった時は、できればカウンセリングを定期的に受けること。

かなりざっくりした教訓になってしまいましたが、参考にしていただけると嬉しいです。

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