筆者はもともと東京都出身ですが、縁があって2014年4月から2021年4月までちょうど7年間、東京都足立区に在住しました。筆者が精神障害者であることから、健常者向けの一般的就労支援でもうまく再就職ができずに経済的に困窮し、結果的に当地で生活保護費を数か月間受給するに至ってしまいました。筆者にとっては、生活困窮から人生のどん底に落ち、そこからゆるく復活してきたライフステージを送ったのがたまたま足立区だった訳です。
足立区で筆者の望む行政支援を気持ちよく受けられたかどうかを振り返ると、決してそうだとは言えず、かなり辛酸をなめたのではないかと感じています。足立区では障害福祉サービスおよび生活保護を受給し、自立への足掛かりをつかむことができた土地であるのは確かですが、自分にとっては足立区の気質が合っていなかったと考え、結局区外への転出を決意しました。
本稿では、筆者が過去7年間にわたって在住していた足立区の概要、精神障害者が受けられる支援、そして筆者自身の生活保護受給経験について綴りたいと思います。一見信じがたいことを書いていますが、すべて事実です。
目次
東京都足立区の概要を筆者なりに
足立区は東京23区内でも都心からみて北東部に位置し、面積約58平方kmの土地に70万人弱の人口を擁する自治体です。荒川土手や西新井大師などの憩いの場があり、北千住駅といった交通の結節点が位置しています。都心ほどではなくても人口密度は高く、商業施設はかなり混雑します。一方で、西新井や竹ノ塚地区は、都内の外れとしての場末感があります。
筆者が足立区に焦点を当てた理由が、公的住宅の多さとその家賃の安さでした。家賃が安いということは生活費が安いということでもあって、結果的に比較的低所得層が多く住む土地です。東京都独自の手当や医療費助成制度もあり、足立区はひとり親世帯にとって住みやすい土地だと思います。
土地柄については、筆者の抱いていたイメージとは真逆で、かなり保守的かつ外に対して閉鎖的です。東京23区にしては、ジモティーでないよそ者を受け入れない空気感があります。足立区選出の首長や議員は大半が足立区内の学校出身で、かつ保守系政党所属です(過去には共産党所属区長が就任していた珍しい土地です)。保守色が強いこともあってか、福祉にはどちらかといえば後ろ向きという印象があります。
こんなわけで、東京23区の中では癖のある土地柄で、万人にとって住みやすい土地だとは思いません。筆者も住んでいた7年間、もやもやした違和感が消えることはありませんでした。

足立区に転入した時の出来事を振り返る
筆者が足立区に転入した2014年4月は、海外に在住してから日本に帰国した時にあたります。
海外に居住する場合、通常は自治体への住民登録をなくします(住民票を抜きます)。そして、海外から帰国する際に再び自治体に住民登録します。
海外に居住する際に一旦日本の住民票をなくすと、再び住民登録するのにひと手間かかります。通常日本国内の転居では、転出時に発行される転出証明書を転入先に提出しますが、海外からの転居ではそれがありません。転入手続の際に、戸籍謄本や戸籍の附表(自分の住所の移り変わりが記録されている書類)が必要になって、結構面倒くさいのです。
一度抜かれた住民票を復活することでもある海外からの転入は、ホームレスや受刑者のように住民票が職権消除された場合とよく似ているのです。
足立区の場合、隣の葛飾区に東京拘置所に収監されている受刑者がいたり、荒川土手に住むホームレスが多いことが他の自治体とは違う特殊な背景になります(彼らは生活困窮者として福祉の対象となるという前提があります)。
かなり前置きが長くなりましたが、海外で就いていた仕事を辞めてから帰国して住むことになった足立区役所に、失業状態で転入手続を行った際に信じられない出来事があったのです。
端的に言えば、筆者が生活保護受給の対象でありうることを足立区の職員に認識されて、水際作戦のような言動を受けたということです。足立区役所の本庁内で転入手続を行っている最中、長い待ち時間の途中で職員が筆者のところにやってきて言ったことが、
職員「今は働いているのか?」
筆者「海外で就いていた仕事を辞めて帰国したので、今は失業状態です」
職員「海外に行く前にはどこに住んでいたの?」
筆者「隣の●●区でしたが」
職員「だったら ●●区 で福祉を受けたらいいでしょ」
でした。職員が生活保護の申請を区内で出されることを警戒していて、転入という水際で阻止したかったのでしょうね。
当時失業していた筆者は、いわばホームレスと同列に扱われたのです。かなりショックを受けましたね。今でも忘れられない辛い出来事です。働いていても失業していても一市民であり、失業していることで差別を受ける筋合いはありません。
筆者はこの言葉を浴びせられた瞬間に抗議することが出来ず、2年以上たってからこの出来事を区に質しました。文書で回答がありましたが、筆者が証拠も取っておらず、区がこの出来事を認めることはありませんでした。
この一件で、いつかは区外に引っ越すぞ、という決意をしたわけです。

足立区における精神障害者に対する支援体制
精神疾患で通院している場合、自立支援医療(精神通院)受給者証や精神障害者保健福祉手帳を受けることができて、それは足立区でも然りです。
足立区の場合、精神障害者に関しては手続窓口が区役所や区民事務所ではなく、保健所や保健センターになります。医療受給者証や手帳の発行事務は東京都が一括して行っていて、区の保健所はその窓口という位置付けです(ちなみに、筆者が利用していた江北保健センターの受付窓口はパソナへの業務委託で、区議会で問題になっていました)。
自立支援医療受給の申請を行う際、添付書類として健康保険証の写しが必要ですが、足立区に転入してから初めて保健所で手続をした際、保険証のコピーを取るのに費用が本人の負担だと言われて驚きました。1枚10円取られた領収書を今でも取ってあります(現在でも徴収しているかわかりませんが)。
他の自治体では、証明書のコピー代を取られたことがなかったので、にわかに信じられなかったです(現在住んでいる市でもコピー代など取られません)。

精神障害者手帳を取っている場合、就労移行支援や就労定着支援といった障害福祉サービスを利用する際の窓口は、区役所の支援課ではなく、保健所の保健師さんが窓口になります。担当の保健師さんが居住地によって決まっているのですが、人数が少なくて相談できるまでとにかく時間がかかりました。相談したい時に相談できない体制でした。筆者を担当してくれた保健師さんにも当たり外れがありましたが、転出直前に最後に担当してくださった方には、とても親身に対応してもらえました。
就労移行支援を受けて一般就労を始めてからの職場での定着支援は、就労移行支援事業所から区の障害者福祉センターに引き継がれますが、足立区は体制が小さくて、十分な支援を受けられなかったです。また、竹ノ塚にふれんどりぃという精神障害者が集うことのできる区営の施設がありますが、区内の当事者を広く支援できる体制には思えません。
精神障害者にとっては、十分な支援が受けられる自治体ではないと筆者的には考えています。
足立区にて生活保護受給を経験
筆者が2015年から利用していた就労移行支援の通所が想定以上に長引き、その間に生活費のための貯金が底をつきて生活保護を受給することになりました。生活保護受給には就労要件がありますが、筆者には就労移行支援という福祉的就労についていることで要件を満たせたのです。また、筆者の親族が全員逝去していて身寄りがなかったので、扶養要件も満たしていて、貯金が尽きた時点で申請さえすれば保護が決定される状況でした。
2016年12月になって、区の福祉事務所に足を踏み入れ、ケースワーカーに相談に行きましたが、やはり異様な雰囲気を感じました。初回の相談の結果、必要な時期が来たら生活保護の申請を行うことで話が付きましたが、その時から最低生活費でやりくりをすることを暗に要求され、予定より早く保護申請に行ったら、担当のケースワーカーに怒られた記憶があります。
2017年3月に生活保護の決定通知が得られ、再就職が決まるまでの数か月間、保護費を受給しながらどん底の生活を強いられました。

受給決定の際、生活保護のしおりを受け取りました。

生活保護を受給していると、保険診療レベルで医療扶助を受けられますが、受診先の医療機関のスタッフの視線に偏見があるようで怖かったですね。受診するたびにケースワーカーから医療券をもらう必要があり、自由に受診できるわけではありませんでした。
また、生活保護を受給するためには住宅扶助の基準額に収まる家賃の物件に住む必要があり、筆者も転宅指導を回避するための転居を強いられました。東京都の場合、生活保護を受給している間は水道料金のうち一定容量の分だけが免除されて、さらには(東京都に限らず)NHK受信料もその間免除されました。
あまり知られていませんが、生活保護を受給していると、JRの特定者用通勤定期券を3割引きで購入でき、筆者も通勤に利用していました。特定者資格証明書を福祉事務所で作ってもらった上で、特定者用通勤定期券購入証明書ももらってJRの駅で提出します(様式は学割証に似ています)。

同年5月に再就職を果たして同年8月で生活保護が廃止になりましたが、担当のケースワーカーが生活保護をいち早く廃止しようとするプレッシャーを強く感じました。就職はいつ決まるのか、と何回言われたことか。
足立区の場合、生活保護の申請自体ハードルは高くないように感じますが、その分廃止への圧力が強いです。
社会復帰を果たし足立区から転出した
2017年に障害者雇用にて社会復帰を果たして4年経ち、将来への生活の目途が立った今、筆者にとって嫌なことが多かった足立区からの転出を果たしました。
筆者にとっては足立区は合わない土地でしたが、一概に否定するわけではなく、人によっては合っているかと思います(特にひとり親への支援は厚いです)。なんだかんだといっても、十分ではなかったにせよ、社会復帰のための支援が得られたこと自体には感謝したいと思っています。
個人的には、今後再び足立区に住むことはないと考えています。
